読者コーナー
読者コーナーでは、シネマ気球の感想のほか、おススメの新作映画・名作映画、映画館の思い出など、映画に関する原稿を募集しています。お気軽にご参加ください。メールをお待ちします。掲載は随時。
手形のような感触(39号を読んで)
活字や数値情報とちがい、映像化された作品群は私たちをその現場に引きずり込み、同時疑似体験とともにじつに多くの考え方、生き方を照射してくれる貴重な文化財とおもっている小生にとって、貴誌の執筆者方それぞれが、いわゆる評論家とは異なる生の、いわば手形のような感触を読み取ることができ、こういう視点もあるのかとたいへん勉強になりました。
千葉県 野田のT・Kさん
映画へののめり込み様が面白い(36号を読んで)
いつも思うのだけれど「シネマ気球」の面白さは、執筆者の映画へののめり込み様が面白いのですね。だってみなさん文章の端々からお察しするところ六十代の方が多いんじゃないですか? だのにまるで学生。持てる蘊蓄を傾けて、微に入り細を穿ってほめたりけなしたり全力投入している。思わず笑ってしまうこともしばしば、そちらの方が映画みたいと思うくらいです。頑張れ愛すべき執筆者たち。
埼玉県 辺境人さん
「スター・ウォーズ」新シリーズに期待(36号を読んで)
内容濃くて、おもしろいですネー。「スター・ウォーズ」の考察は成程と思いました。旧3部作は好きですが新3部作はどうにも好きになれない。なので今度の3部作にはちょっと期待はしてます。最近一番すきになったのは、「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」です。
東京都 勝川克志さん
鈴木論文に異議(36号を読んで)
「シネマギャラリー」鶴田聖さんの画は、毎号本当に素晴らしいと感動しています。
「警備員室午後10時」農律捨丸さんの文章はユーモアにあふれいつも笑わされています。それにしても「世の中いろんな人がいるものだ」と思ってしまいました。
「心の溝を埋める出会いの物語 めぐり逢わせのお弁当」中田好美さんの文章に思わず引き込まれて読みました。映画のストーリーをよくこれだけ詳細に覚えていることにも驚きです。観ていてメモでもとっているのでしょうか? イラストも上手で、文章と画の情景がマッチしていていいですネ。
さて、私の弁当に関する思い出は、ある時、家内が足を骨折して入院しました。弁当づくりは私に回ってきました。仕事から夜遅く11時、12時に帰宅しても息子たちが喜ぶ顔を連想しながら夜中に弁当のおかずを作りました。サンドウィッチの弁当を持たせた日の夜、帰宅した私に次男は、「今日は隣の生徒から片桐君のお母さんの弁当は素晴らしい」と誉められた。まさか「父が作ったとは言えないので、適当に相づちを打っていた」と話したので息子と2人で大笑いしました。小学6年生で母親を亡くした私は、中学校は朝早く起きて自分で作った弁当を持って学校へ通いましたから、「母が作る弁当」の思い出は残念ながらありません。
「ある反戦・反核女優」(鈴木輝夫さん)鈴木さんの「平和の願望だけでは平和は守れない」という主張は、「だから軍備としての抑止力が必要」「核兵器が必要」という所へ行きつく。「抑止論」に立脚すれば、アメリカのように「世界の憲兵」として他国に軍事介入・先制攻撃を仕掛ける。(ベトナム、イラン、イラク、アフガニスタン、シリア等々)これらの国々では、アメリカの最強軍事力をしても相手を屈服させることはできなかった。却って政治を不安定にしてきたことをみれば、「軍事力では何事も解決しない」ことが明らかではないでしょうか。「武力には武力で対抗」は、暴力団的発想。私たちが新宿、池袋駅頭などで宣伝していても、「北朝鮮が攻めてきたらどうするんだ!」とイチャモンを吹っかけてくる人がいますが、そういう低次元の話には乗らず、「不戦の平和憲法こそ最大の守り」と応じてきました。
「原爆赦すまじ」の平和運動が日本中に満ちている。それは余りにも『政治性』を帯びて仕舞ったと、論じる。「核廃絶」「平和」を論じることは、ヒロシマ、ナガサキ、そして東京大空襲などで肉親や知人などを失った人たちにとって切実なことであり、自分たちが体験した悲惨さを語り、再びその惨禍を繰りかえさせない、という決意はごく当然な行為であり、何人もそのことを「政治利用」といって非難することは天にツバすることではないでしょうか。 ヒロシマやナガサキの高校生が中心となり「平和大使」が国連などに核兵器の悲惨さを被爆者に代わって訴えています。「願っているだけでは平和は来ない」ではなく、原爆の被害を受けた日本だからこそ世界中に平和のメッセージを発信していくことが求められています。同時に、日本は「加害国」であることも忘れてはなりません。隣国韓国や中国に対するホロコーストは、謝罪と補償、そして子どもたちへの歴史教育に目を塞ぐことなく推進することが求められます。
小川榮太郎なる評論家がどんな人物かは知りませんが、「吉永小百合は、ある政治勢力に因って『政治の魔の手』に付け入られ・・・」と書かれていますが、吉永小百合は、誰彼に言われて映画に出演したり朗読をつづけているのではなく、その内容を吟味したうえで出演をしているのです。つまり彼女の生き方、哲学として「反核」「平和」「ヒューマニズム」が基軸として座っているのです。有名人が政治の問題や平和について語ることは、とても勇気がいることです。吉永小百合の場合は、JR東日本などのコマーシャルにも出ていますから、スポンサーに睨まれれば仕事を干されることも考えねばなりません。小川榮太郎なる人物が論じる評論が、俳優である吉永小百合の芸などを批判するならともかく、その人が信念を持つ哲学・生きざまを雑誌で攻撃すること自体、その人の心に土足で立ち入る行為で、失礼であり異常と言えましょう。それとも攻撃することで吉永小百合の足を止めることが目的なのでしょうか。
「言論の自由について」鈴木さんは最後に言論の自由を論じていますが、彼自身がよく理解していないことが文章から読みとれます。彼自身が最後のくだりで「如何せん私には、それを十全に語る知識も言葉も全く持ち合わせておらない。唯々、己の不明を恥じるのみ──」と記していますが、本当にそう思っているなら小川榮太郎なる人物の吉永小百合に対する揶揄論評を引用したこと自体恥じるべきではないでしょうか。以上、鈴木さんの文章を読んだ私の感想です。
千葉県 K・Kさん
濃い内容でびっくり(34号を読んで)
濃い内容で毎回びっくりしてます。特におもしろかったのは「寒い国から還った参謀」「なぜか今なおジャンゴなのだ」久保嘉之事故報告等です。楽しませていただきました!
東京都 勝川克志さん
執筆者の夢中さが面白い(34号を読んで)
このところ映画館に行く機会がめっきり少なくなっていたので飢えていたのか、パラパラめくっていると映画館の空気が立ち上ってきて、タイトルや筋書にひかれて思わず次々と読んでしまいました。執筆者の夢中になり方がまた面白くて思わず笑ってしまいました(好意的に)。9頁にわたる最長編の「なぜか、今なお『ジャンゴ』なのだ」も、実物を観ていなくても、詳しい筋書、音楽歌詞付きで、臨場感たっぷりに堪能できました。執筆者ご自身がかなりジャンゴ傾向が強い方なのではないかという感じがしました。
埼玉県 辺境人さん
日本人よ、マナーを取り戻せ(34号を読んで)
表紙の絵ですが、映画のひとシーンだと思いますが、文とよく調和して、しかも切り絵のような感じでモノクロが「良く似合う」と思いました。後のページで「65歳になったら個展を」と近況に書いているように楽しみですね。
P5 堀江弘子さんの「今、現実が映画を凌駕し始めている?」
原発再稼働と輸出、自衛隊の軍隊への格上げ、首相の異様な情熱など、私には理解出来ない。「事実は小説より奇なり」というが、全くもってその通りと考える他ありません。とのご指摘に同感です。
P34 門馬徳行氏の「甦れ!不滅のチャンバラ映画」
「椿三十郎」「用心棒」「鞍馬天狗」など、この辺の映画は、私も観ているので筆者の指摘に、「そうだなあ」と共鳴して読みました。
筆者近況報告の中に、久保嘉之さんの交通事故が載っていましたが、「不幸中の幸い」でした。私も交差点など見ていて、赤信号でも平気で通り抜けていく、右折、左折でもウインカーを出さないなど、日常茶飯事などで怖いなあと常日頃考えていますが、なかでも、携帯をやっていて車にぶつけられたのが1回、自転車では若者がスマホをやりながら私の横腹に追突、2人とも交差点内で横転、もう1度は自転車が正面衝突してきました。日本人のマナーは、酷いものとの実感を街で、電車内で日々感じています。
千葉県 K・Kさん
私の思い出(34号を読んで)
農律捨丸さんの警備員室日記を読み返して共感したところがありました。「ダンス・ウイズ・ウルブズ」に感激して席が立てなかったというくだり、凄くわかります。私も二十数年前にテレビで夜に放映したのをかぶりつきで見て感動のあまり放心状態になり、眠れませんでした。しかも3歳ごろだった息子が隣の部屋で高熱にうなされていて看病しながら見ていたという状況でした。ですから未だにそのときのことを多少の後ろ暗さを感じながら思い出します。家族に話すと呆れられます。「おかあさんったら、そんなに映画に夢中だったのか」って。(笑)ケビン・コスナーのファンになったのもこの映画がきっかけで、以来しょうもない映画に出ているケビン・コスナーも許せてしまいます。
それから、山下雄平さんが書いていらした二階堂ふみという若手女優もとてもいいと思っています。すごく怖い「悪の教典」という映画に女子高校生役で出ているのを見て彼女の演技がなぜか大変印象に残っているのです。彼女だったら難しい役柄も演じられるだろうなと感じます。
中田好美さんの夢に出てきた映画のシーンもおもしろかったです。夢に出てくることはないですが、「ザ・フライ」「ハンニバル」「リング」「となりのトトロ」いずれもいまだにインパクトのある映画として記憶にあります。
怖いのはともかく、「となりのトトロ」はやはり子どもたちが小さいときに大のお気に入りアニメでした。私も大好きで、ある年の夏中、毎日毎日飽きもせずビデオを子どもと一緒に楽しみました。妹のめいちゃんがきゅうりを丸かじりするところでは、子どもが同じように必ず「おかあさん、きゅうりちょうだい」と言うので洗って出してあげると、その場面に合わせてかぶりつくので笑わせられたものでした。猫がもともと好きなのでいつか飼いたいと願っていたものです。今ではウチで一匹、娘のところでも二匹飼っています。個々の映画を観た時代や状況やその頃の心境がまざまざと蘇って来ます。
岐阜県 さつまいもさん
切り込んだ内容のエッセイ──シネマ気球33号の感想
映画好きの面々が集まられて切り込んだ内容のエッセイで興味深い一冊になっております。まだ全部読んでませんが、新藤兼人が遺したもの(今市さん)は素晴らしかったです! あと大島渚(小泉さん)、アメコミ映画(萩原さん)、若松孝二(鈴木さん)、ハリーハウゼン(鶴田さんのイラスト)、ブレードランナー(岩舘さん)……等が心に残っています(じつは後のものはまだ読んでいないのです)。レベルが高くて勉強にもなりましたし、観てみたいなと思う作品が数々紹介され期待ふくらんでいます。というのも最近は映画ほとんどみてなくて……探してみます。
東京都 勝川克志さん
感心した3本──33号を読んで
●「牛の鈴音」──母のこと、そして祖父母のこと 久保嘉之
韓国映画の老人と老牛の関係と久保さんが育った長崎の祖父母と牛の関係を少年時代を思い起こしながら描いていくところが実に面白い。特にラジオが好きで「調子が悪くなるとあちこち叩いて電波の入り具合を良くしようとする」と言うくだりは、私が子どもの頃によくやったことで思わず笑ってしまった。電波の入りが悪いのではなく、真空管を使用していたラジオのため接触が悪くなり叩くことによって離れていた線が震動で再び接触するようにしていたのだと考えます。
19頁2段目から自分が飼っていた犬と猫の死と映画の牛の死に際して老人が涙を見せなかったこととを重ねて「涙が出なかった」と述べている所なども共感する部分です。
私にとっては「牛の鈴音」は、まったく観ていないので映画の内容はまったくわかりませんが、久保さんの文章を読み映画のあらすじが分かったような気分になりました。
追記:20頁に「心筋梗塞顛末記」が書かれていましたが、よく地獄へ行かずにこの世に留まることが出来たと思ってしまいました。「牛の鈴音」よりこちらの方がリアル感に満ちていて他人事とは思えず心配してしまいました。それにしても家族の皆さんもさぞ心配されたことでしょう。今後の日常生活に細心の注意が必要と考えました。お大事に!
●反戦、反核、生と性・映画職人・新藤兼人が遺したもの(下)今市文明
余りにも有名な監督の映画を紹介しつつ、女優音羽信子との生涯を紹介する「監督論」は、映画関係に詳しくない私には参考になる内容でした。
独立プロの映画づくりは、資金面で厳しいことは私にも分かります。特にリベラルや左翼系のものにはスポンサーがつかないでしょうから。そうした中にあって「裸の島」が起死回生の1本になったのは、監督の執念が内容に現れたからでしょう。
●追悼 大島渚 映画界の風雲児逝く 小泉敦
もう1本の小泉さんの監督論、「追悼 大島渚」も興味をもって読みました。大島渚と言えば、私の記憶にあるのは「愛のコリーダ」裁判でした。当時私は30代後半だったと思いますが、仕事も活動も忙しく飛び回っていた頃で、映画に関心持つ余裕はありませんでしたが、ニュースで裁判のことを聞く度に「表現の自由に警察権力が介入するのは危険だ」と思っていました。
大島と田原総一朗との関係など、とても新鮮に感じ読みすすみました。このような個性の強い、かつ骨のある監督がいたことが、新藤監督とは違い、別の意味で良い日本映画が生まれる土壌があったのだと考えました。企業でも、社会でも「イエス・マン」ばかりでは面白くありませんから・・・。
千葉県 K・Kさん
シネマの熱を感じる
"気球"が映画への熱気と8月の上昇気流で、上へ上へと昇り続けて、そろそろ成層圏到達って感じがする。多数の情熱と才能を集めたシネマの熱が時空を超えていつまでもファンに波及しているように思う。
埼玉県 辺境人さん
名作にチャレンジ!
私も、映画好きなので、とても楽しく読ませていただきました。思わずつられて、自分の「ベスト」って何だろう、とか考えてしまいました。皆さんの「ベスト」に、「やはりこれ入るよね」、とか「え?、これ見てない」とか、とても刺激されました。
「シネマ気球」を参考に、まだ見てない名作にチャレンジしてみたくなりました。
神奈川県 ハマのマオさん
風格が出てきた「シネマ気球」
皆さん、とても文章が上手です。というか、「シネマ気球」に何度も原稿を掲載しているうちに、だんだん上手くなってきた、そんな気がします。
同時に、「シネマ気球」自体にも風格が出てきたようです。すでに同人誌であって、同人誌でなくなりつつあるのかもしれません。喜ばしいことではあります。
千葉県 神風さん
映画はいい
「シネマ気球」の内容はほんの少ししか理解できませんが、東京に就職し「ぴあ」をみて映画サークルにはいり通ったことを思い出したりしました。
映画は総合芸術と言われますが、私の人生を形成する上でも映画から吸収したことは多々あると感じています。最近はあまり観ていませんが映画はいいですよね。
埼玉県 社長さん
イラストが印象的
なんと言っても1ページ目の山下画伯のイラストが印象的で、相変わらずのキレのあるペンさばきに感服している次第です。
東京都 マンガ坊主さん
「蟹工船」と「仁義なき戦い」がいい
31号では、「蟹工船」を取り上げた今市氏と、「仁義なき戦い」の鈴木氏の文章が興味深かったです。勝手に同世代意識を感じてしまいました。それから、中国ドラマについての美羽氏の文を読んで、思わずビデオ屋に走りたくなってしまいました。
東京都 ハングルねえさんさん
評論とは
同人の大多数が、一言で言うと批評あるいは評論しようとする映画のあらすじを書いて終わっている。そのような行為は批評・評論には値しない。あらすじなどは映画への想念、理念をよりわかりやすくするための単なる一手段であり、それを書くことが決して本論ではないはずだ。
映画を語るとは、映画を批評するとは、結果として己の存在のありようをみせるということであり、映画は映画として客観的には決して存在していない。映画があるということを突き詰めて考えると、己の中にしか存在していないといえるのだ。残念ながら同人の多くは、映画を自己の中にみていない。私はそんなふうに感じるのであるが、いかがであろうか。
静岡県 原の隠居さん
映画は人生の師
若い頃、すごい自己嫌悪に陥っていた時にふらふらと映画館に入って見たのが「第三の男」でした。そのときの感動は今も覚えています。映画はパチンコのようなお気楽な娯楽とそれまでは思っていたのですが、こんなに深く1つひとつのシーンが忘れられないものなんてと感じました。文学と似ていると。それから映画に目覚めました。26歳の時でした。遅ればせながら社会というものに目を開かされたのです。ですから文学と同様に、映画には感謝の気持ちもすごくあります。これからどのくらい見られるか分かりませんが、映画は私の人生の師です。
岐阜県 さつまいもさん
よかった"いわさきちひろ"
夏休み孫を預かりアニメを観ました。3Dメガネ着用でしたが、効果は"スゴイ"でした。また、妻と「いわさきちひろ」を観ました。ドキュメンタリーというのでしょうか、映画の出来栄えは判断できませんが、あの "子供の絵"が生まれる過程を知ることができてよかったと思っています。
千葉県 T・Tさん
読みごたえあり!
楽しく拝読しております! 内容濃くて読みごたえありました。皆さんによろしく!
東京都 勝川克志さん